【コラム】浜松の歌謡曲(2)「浜松の夜」
2020~21年の新型コロナの影響によって、もっとも打撃を受けた業界のひとつに「夜の街」があげられるでしょう。第5波が過ぎ去って、外を出歩く人々の数も、新幹線の乗車率も、すこし回復したようですが、有楽街の「テナント募集」の看板は、いっこうに減る気配がありません。
ところで、ご当地ソングには「夜」をテーマにしたものが比較的多く、わたしたちの浜松も例外ではありません。そこで、浜松の「夜」を題材にした数枚のレコードを紹介しましょう(音をお聞かせすることができないのが、本当に残念です)。
最初に紹介するのは、1968年頃の作品と思われる「浜松の夜」(テイチク)。おしゃれな白いジャケットを着ている歌手は、ボンキー小栗。
歌詞カードの隅に記載されている情報によると、1947年生まれで、浜松西高を卒業後、歌手を志して1964年に上京。コーラス・グループの数年を経て、この曲で念願のソロ・デビューを果たしました。
「特技は楽器」で「一通り総てマスター」したばかりでなく、「浜松の夜」の作曲も担当しているので、かなり器用な人物だったことが窺えます。2022年の現在、もしご存命なら75歳。
「浜松の夜が更けて」(テイチク)も同じ1960年代後半頃にリリースされたレコードかと思われます。
歌手は、「田町ショッピング通り」にあった「浜松歌謡学院」で、作曲家・久慈ひろし氏に師事していた北見ゆり。「逢いたくて浜松」や「ふたヽび浜松」で有名な、喜多見ゆりさんと同一人物でしょうか。ハイビカスの色に合わせた背景色が、とても鮮やかです。
1967年に発売された「千歳ネオン」(クラウン)。
曲名の「千歳」は、北海道の千歳市ではなく、浜松の「千歳」であることは、歌詞の中に「遠州おろし」とあることから明らかです。
歌っているのは浜ちどり。1948年生まれ(当時18歳)。引佐の出身で、気賀高等学校を卒業して、この「千歳ネオン」でデビュー。その後も「ステッキ小唄」などを残したようです。
「千歳ネオン」の作曲者で、浜ちどりの師匠にあたる人物は、浜松(雄踏)が生んだ最も偉大な音楽家、佐伯一郎です(2020年12月20日に亡くなられてから、もう一年が経過しました)。
「千歳ネオン」は、YouTubeで、葵恵子による歌唱を聴くことができます。
千歳ネオン【歌詞テロップ表記 唄:葵恵子】<佐伯一郎作曲集より>
文:静岡文化芸術大学 教授 奥中康人