【コラム】地域の音楽文化(4)―遠州大念仏は「不要不急」?(その2)―

遠州大念仏で用いられる楽器に、真鍮でできた直径約50㎝の大きな金属打楽器があり、これを双盤(そうばん)といいます。

おなじ大きさの2枚を1セットとし、しかし、あらかじめ微妙に違う音高を発するように調整してあるので、2枚を同時に叩くと、いい感じの「うなり」が生じ、あたり一面に殷々と響き渡ります。

わたしが調査でずっとお世話になっている早出組(中区早出町)の双盤は、Es(ミ♭)の音高で、冥界にまで届くような重低音(というより、空気の振動)は、現場で聴く生音でなければ体感することができません。

「冥界にまで届く」と書いたのは、物理学的な音の低さ(振動数の少なさ)を示すための比喩にすぎません。しかし、科学が存在しなかった近世までの人々は、本当に「冥界に届く」と信じて疑わなかったでしょう。

その意識は、科学を信奉している現代の私たちにもまだ残っていて、神社の賽銭箱とセットになっている鈴(すず)や鰐口、仏壇に置かれている鉦や鈴(りん)、大晦日の梵鐘は、単なる金属のサウンドではなく、神聖な音として認識しているはずです(もちろん、神聖とは思わない人も存在しますが)。

双盤の重低音は、初盆を迎える家のご近所さんたちの耳にも届き、大念仏を見ようと、人々が少なからず集まります。
それは、約30分間の民俗芸能・遠州大念仏のパフォーマンスの鑑賞が目的かもしれませんが、実は、故人を想起する機会にもなっています。

つまり、集まった人々は大念仏によって、「よく散歩のときに挨拶を交わしていた、あのお婆さん」の死や「近所の友達のお父さん」の死を、久しぶりに思い返し、パフォーマンスを観覧しつつ、自分と故人の関係性について懐旧しているに違いないのです。それに付随して、初盆に集まっている遺族が、それなりに元気にしている姿も、確認できるでしょう。

「遠州大念仏を招くと、けっこうな出費になる」と敬遠する人も多いでしょうが、自分の初盆が、地域のコミュニティ形成を促進するなら、決して浪費ではありません。
まさに「地域貢献」です。

終活に、遠州大念仏の生前予約をオススメします。

文と写真:静岡文化芸術大学 教授 奥中康人