【コラム】「音楽の都」に対する違和感(3)川崎市の場合

神奈川県川崎市は、「市民が愛着と誇りが持てるまちづくりとまちのイメージアップ」を図るために、「音楽のまちづくり」を進めているようです。たとえば、川崎市には、「ミューザ川崎シンフォニーホール」と、フランチャイズ・オーケストラの「東京交響楽団」を筆頭に、「2つの音楽大学」「4つの市民オーケストラ」「100を超える市民合唱団」「企業の吹奏楽団や合唱団」といった「音楽資源」が存在すると、川崎市のホームページは述べています。
https://www.city.kawasaki.jp/250/page/0000001388.html
もちろん、「川崎市に倣って、浜松市も音楽大学とオーケストラを誘致すべきだ!」などと、主張したいのではありません。川崎市が掲げる「音楽資源」の偏りに、違和感をもってしまうのは私だけでしょうか。

実は、私自身はクラシック音楽が大好きです。しかし、すべての市民が、好んでいるとは、とても思えません。そもそも趣味は人それぞれですし、音楽ジャンルに優劣は存在しません。クラシック音楽を好まない人々にとって、上記の「音楽資源」は、とくに魅力あるものではなく、そこに「愛着と誇り」を持つことができないこと、つまり、政策として失敗していることは、容易に想像がつきます。

3期12年にわたって市政運営に取り組んだ元川崎市長の著書のタイトルは『「灰色のまち」から「音楽のまち」へ』です。タイトルだけでは、「灰色」が何を指しているのか不明瞭ですが、それが表象するところについて思いを巡らせるなら、ミューザ川崎に美しいモーツァルトが鳴り響いたとしても、あまり良い気分にはなれません。これとは対極的な書籍に、磯部涼『ルポ 川崎』(2017)があります(2021年4月に文庫化)。

磯部がクローズアップするのは、ラップ(ヒップホップ)という音楽ジャンルです。川崎市のラッパ―たちは何を主張・表現しようとしているのか。きちんと耳を傾けることによって、真の「まちづくり」は初めて可能になるのではないでしょうか。いや、かれらの言うことなどには耳を貸さず、モーツァルトを聴かせればよいとでも言うのでしょうか。

文:静岡文化芸術大学 教授 奥中康人