【コラム】「音楽の都」に対する違和感

まずは自己紹介。静岡文化芸術大学で音楽(近代日本の音楽史)の研究をしている奥中康人と申します。もともとは奈良県生駒市という人口10万人ほどの小さな町に住んでいたのですが、浜松に住むようになってから10年が経過しました。
浜松に住んでいると、「音楽の都 浜松」というようなキャッチフレーズをよく耳にします。でも、音楽の研究をしている私には、なんとなくモヤモヤした違和感があります。しかし、違和感をあからさまに表明するのも、どことなく躊躇われます。「音楽の都」が、とても美しい響きだからでしょう。しかし、「なんか変じゃないかなぁ」と違和感を表明できない社会は、あまり健全ではないように思います。
いえ、「音楽工場のあるまち 浜松」なら、しっくりきます。20年くらい前、所属していた大学のゼミの旅行で、楽器博や楽器工場の見学のために浜松を訪問したのが、わたしの最初の浜松体験でした。関西からわざわざ浜松まで来たのは、関西には存在しない楽器博や楽器工場があるからです(ただし、近年、市内の楽器工場の数はかなり減少したので、「音楽工場のあったまち 浜松」が正確かもしれません)。
ところで、音楽史の領域で「音楽の都」といえば、なんと言ってもウィーンです。なぜなら、ウィーンは、モーツァルトやベートーヴェンが活躍したからです。ただし、モーツァルトやベートーヴェンが活躍できたのは、ハプスブルク家が支配する帝都であり、政治経済の中心地だったからです。ウィーンは、音楽によって繁栄したのではなく、繁栄していたから「音楽の都」にもなりえたのです。
カエルが鳴くから雨が降るのではなく、雨が降るからカエルが鳴くのと同じ因果関係です。

文:静岡文化芸術大学 教授 奥中康人